目次
はじめに
ちゃすちゃす✋
どーも、永澄拓夢です。
てなわけで、今回の感想対象作品はこちら!
『冬のさざなみ』
同人サークル『ゆにっとちーず』さんが2013年に世に送り出したフリーゲームです。
本作は新作というワケではなく、あくまでも『パコられ』や『夏のさざんか』の後日譚とのこと。そういう意味では実質的なクロスオーバー作品とも言えますね。
『夏のさざんか』・『パコられ』は、両作品共に綺麗に〆られていたようにも感じているのですが、果たしてどのような”その先”が語られるのでしょうか。
というワケで、さぁ蓋を開けますわよ!
※本作は、上述した通り『パコられ』と『夏のさざんか』の後日譚です。その特性上、両作品共に完走済の方でなければ、<あらすじ>からしてネタバレとなってしまいます。お気を付けください。
あらすじ
大事な、人が、死んだ。
「僕」は、偶然手にした週刊誌の導きによって、
死の匂い漂う冬の太平洋を目指す。
何かに焦がれながらも未来を諦めたまま降り立った浜辺で見た女の亡霊。
鬱陶しいのに、僕の心を惹き付けて止まないイカレた男、「ヨモギ」。
冬の漣の冷たさは、僕の心を停滞した時間の中から連れ出してくれるのだろうか。
欲望の無い世界に生きられたら、幸せなのに……
生きる意味をなくした青年が冬の海で出会う人。
停滞した時間が動き出す物語。
引用元
所感
『感慨深さ』と『イマイチ釈然としない気持ち』の間で揺れています。
正直な話、本作の”内容”自体は蛇足です。しかしだからと言って、その存在自体を否定してしまえる程に内容が無駄なワケでもなく。むしろ、蛇足でありながらも内容が詰まっていたからこそ揺れているという感じです。
きっと、本作の『内容・解答』を肯定するユーザーと否定するユーザーは両極端に分かれているのでしょう。賛否両論というヤツですね。
『夏のさざんか』と『パコられ』の両作品をプレイされた方には、ぜひその目で確かめていただきたい一作となっております。
フリーゲームな上に非常に短い短編ですので。あくまでも「ついで」感覚で気軽に手を伸ばしていただければと。
以下にDL可能なサイトのリンクを添付しますので。
u-cheese.sakura.ne.jp
~以下ネタバレ有~
総評
●シナリオについて
<所感>でも記述しましたが、正直本作の内容は、個人的には蛇足です。ただ、感じるモノは確かにありました。
しかし、その『感じるモノ』もまた劇物です。受け取り方によっては『パコられ』や『夏のさざんか』への余韻および美的感情すらも破壊されてしまうでしょう。
……それでも、本作をプレイすることで、完結の先の完結を見ることが出来た。それは確実なコトでした。
では、具体的な話を。
<はじめに>でも記述しましたし、<あらすじ>からも丸わかりではありますが、本作は『パコられ』と『夏のさざんか』のクロスオーバー作品です。内容を見るに、『パコられ』と『夏のさざんか』を相互補完する目的で作られたのでしょうね。
『パコられ』感想にて、両作品の対比性については軽く記述しましたが、本作では実際にその対比性が利用されたワケです。
そういうコンセプトは良いんですがね……。
まず私が最初に微妙な心境を抱いたのは、本作時系列における『夏のさざんか』主人公────冬野つばきと、同作キャラ────四方木宰の現状を垣間見た際です。
『夏のさざんか』ではあれだけ綺麗にハッピーエンドで終わったにも関わらず、数年後である本作で見せられたのは、狂乱(のフリ)してメンヘラ化している冬野つばきと、そんな彼女に何もすることが出来ず涙を流す四方木宰の姿でした。
『パコられ』のFDと位置付けられている本作。その特性もあって、当初の私は「『パコられ』のために『夏のさざんか』を犠牲にするのか」とも思いました。実際にTwitterでツイートもしています。
まさか、『パコられ』のために『夏のさざんか』を犠牲にするのか……?
— 永澄拓夢 (@kingtakumu530) 2021年10月9日
結局この惨状は、冬野つばきがせっかく出来た赤ん坊を中絶するという『選択』をするしか無かったことが原因でした。 『夏のさざんか』には、結論に直結するメッセージとして以下のようなセリフが存在します。
「何かの言いなりになるのはとても楽だ。そういう生き方が悪いとも思わない。でもそれは、自分の意志で動くこと、我を通すことの嬉しさと辛さを知ってからだ」
『夏のさざんか』ラストで齎された四方木宰のこのセリフによって、これまで他者に言われるまま/周囲の目を気にするままで”我”が希薄だったつばきは、前に進みます。
しかしこの一連の流れを念頭に置いて本作の惨状を見ると、何とも言えない皮肉に絶望しました。
「貧乏な現状で子供なんか育てられない。宰に迷惑はかけられない」という理由から、つばきが自分の意志で選んだのは、中絶という道だったんです。宰との赤ん坊を殺すという『選択』だったんです。
これこそが『自分の意志で動くことの辛さ』であるとでも誇示するかのように、本作は”悪い方向”として納得出来てしまう”その先”を突き付けてきました。
愕然としましたね。納得出来るけど納得したくないとはこのコトです。
一応この惨状は、本作終盤で好転の兆しを見せます。そのきっかけが、主人公から齎される『客観的な幸福の断定』だったワケですが、この解決法もまた『夏のさざんか』という作品の結論に対する皮肉なんですよね。
上述した四方木宰のセリフからも分かる通り、『夏のさざんか』という作品は、『何かの言いなりになること』自体の否定はしていません。しかし、基本的には『自分の意志で行動すること』や『世界の基準を自分で決めること』を啓発するようなスタンスの作品でした。
それが、最終的に本作によって、「やっぱり他者から基準を押し付けてもらわなくちゃいけない時もあるよね」みたいな、少し曖昧な結論に変化してしまうワケです。
冬野つばきは自身の選択によって自身の『基準』を狂わせ。当事者の一人である四方木宰はそんなつばきに成す術無く。最終的な解決法は、全く関係の無い他者である紺野惇による『幸福の断定』=『他者による基準の押し付け』だったワケですから。
で、じゃあ『パコられ』サイドはどうなのかというと。
紺野惇、すっかり元の卑屈な『異端者』に戻ってしまっていました。これ自体も、生前の安芸紗倉との思い出を否定してしまうことになってしまうのですが……。まぁそれは置いといて。
こちらサイドに関しても、気になるのは紺野惇の問題に対する解決法でしょう。
結局紺野惇は、冬野つばきと四方木宰の関係修復を為した後、逆に四方木宰から”基準を押し付けられる”ことで抱えている問題を解決します。
まぁ、紺野惇も冬野つばき同様、自身の基準を信じられなくなったが故に他者に『基準の押し付け』を望んでいたワケですから、その解決法は正しいとも言えるのですけれども……。
やっぱりこれだと本作自体の結論が『他者の基準を飲み込み従うことの推奨』となってしまうような気がして、なんとも釈然としません。
無理やりにでも良い言い方をすれば、『他者の基準にも耳を貸すことの重要性』という感じになりますかね。
うーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーむ……。
●キャラクターについて
『紺野 惇』について。『パコられ』主人公。傷心旅行中。
子供時代のような、世界を穿った見方しか出来ない卑屈人間に戻ってしまっていましたね……。むしろさらに、何でも他人のせいにしようとする魂胆まで追加されたような。見ていて気持ちの良い主人公では無いことは確かです。
まぁあんなことがあれば、捻くれてしまうのも仕方無いとは思いますが……。
『四方木 宰』について。『夏のさざんか』ヒロイン(?)。つばきの彼氏。
宰は『夏のさざんか』から変わらず良いキャラでした。
つばきへの想いの強さは称賛に値します。本当に素晴らしい。
最後の最後で『他者に基準を押し付けない』という自身の矜持を破って紺野惇を救いましたが、彼ならばアレが最善策であると見抜いていたでしょう。故にこそ、矜持破りは自分の意志によるモノだった。そう考えると、『自身の意志で行動する』という本編結論を引き継ぎ続けたのもまた、彼であったのだと考えられます。
『冬野つばき』について。『夏のさざんか』主人公。宰の彼女。
『夏のさざんか』本編とは比較にならない程に面倒くささが加速していましたね。まぁ仕方が無いとは思いますが……。
自分の基準が破綻してしまった結果、当事者の一人である宰の言葉も信用できなくなったとのことでしたが……。
彼女にこの、『夏のさざんか』を否定しかねない役割を背負わせたことについて、一度作者さんのお話も聴いてみたいなぁとか思ったり思わなかったり。
●テーマ・メッセージについて
※今回は<シナリオについて>でまとめて書いちゃったので、そちらを参照してください。
おわりに
『冬のさざなみ』感想、いかかだったでしょうか。
本当は本作を感想記事にする予定は無かったのですがね。完走後に「これは感想を記事に遺さないと後々後悔しそうだな」と思い直して本記事を作成しました(それ故に記事内容自体はあっさりとなってしまいましたが……)。
要は、そう思わせてくれる程には良い作品だったということですね。
次にプレイする作品は、『パコられ』感想でも記述しましたが、『いきなりあなたに恋してる』を予定しております。
それでは✋