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『終のステラ』感想

目次


はじめに


 ちゃすちゃす✋
 どーも、永澄拓夢です。

 てなわけで、今回の感想対象作品はこちら!

『終のステラ』


 『AIR』や『CLANNAD』で有名な商業ブランド『Key』さんから2022年9月に発売された新作です。シナリオライターはなんとあの、『CROSS†CHANNEL』や『家族計画』を代表作に持つ『田中ロミオ』先生。ロミオ先生がKey作品を手掛けるのは、『Rewrite』以来ですね。
 ……実は私、本作が初めてのロミオ作品になります。本作から受ける面白さの如何によっては、積んでいるロミオ作品のプレイ優先度が上下するワケですが……果たして本作はどのような物語を私に魅せてくれるのでしょうか。非常に期待しております。

 というワケで、さぁ蓋を開けますわよ!

あらすじ


 地球が、すでに人類の世界ではなくなってから久しい。
 世界はシンギュラリティを起こした機械群に支配され、人々はその片隅で、息を潜めて生き長らえていた。

 運び屋“ジュード”の元に、依頼が舞い込む。 それはシンギュラリティ機械群の影響を受けない、 少女型アンドロイド“フィリア” を輸送して欲しいというものだった。
 世間知らずなフィリアの行動に嫌気がさしながらも、ジュードは旅を始める。 時には略奪を繰り返す人間から逃げ、時には機械群が闊歩する危険地帯を通り抜け、 輸送依頼を果たそうとする。

 フィリアは何度も人間になりたいと口にする。
 遥か空の先に辿り着けば、 アンドロイドは人間になれると言うのだが......?

 引用元

所感




~以下ネタバレ有~











総評


●シナリオについて
 素晴らしい作品であったと評さずにはいられません。
 テーマは色濃く且つ身近なもので非常に考えさせられましたし、展開にも隙が無い。物語の土壌となる世界観や設定もよく練られているし、物語を彩るCGや音楽等の演出面に関しても全く物足りなさを感じさせないレベルで充実している。本作の持つ要素の全てに、高い解像度でユーザーを本作へと没入させるための工夫が施されていたように感じました。ユーザーによっては面白さや共感の度合いに差が出ることもあるでしょうが、たとえその点を考慮したとしてもハイクオリティな作品であったと言えるのではないかと考えております。

 具体的な話をしていきましょうか。
 私の解釈において本作は、『人間』というシンプル且つ非常に壮大なテーマに基づいて編まれた作品でした。様々な人間のカタチを物語の端々で垣間見せつつ、「人間の定義とは?」という問いかけを常にユーザーに投げかけ続ける。そんな作品であったと解釈しております。
 テーマを最も象徴するのが、本作の中でも最も焦点の当たるポジションに置かれたのが主人公である『ジュード』とヒロインである『フィリア』になります。あらすじにもある通り、本作は世間知らずのアンドロイドであるフィリアが旅の中で人間へと昇華する物語。ただ、それはあくまでも本作の一側面にしか過ぎません。私は本作を、『合理性を追求して人間性を著しく欠如したジュード』と『人間性の綺麗な部分のみを抱えた博愛主義のフィリア』という、言わば真逆の方向で人間性が不完全な二人が、互いに影響を及ぼし合い、やがて両者共にその中間点にある『普遍的な人間性』へと至る物語であったと考えております。要は、決して一方向に向かって歩む物語ではなく、二者が真逆に位置する対比構造上において、二方向から中間点を目指す物語だったということですね。そしてその中間点に位置するのが『普遍的な人間性』ともなれば、最終的に多くのユーザーに共感と理解を与える物語構成となっているワケです。よく考えられているなぁ……。
 とは言え、何も本作では『普遍的な人間』の様々な要素一つ一つに焦点を当てているワケではありません。様々な要素を内包する『普遍的な人間』から本作がピックアップしたいくつかの要素……その代表格こそが、『1人を救うために100人を殺せる非合理性』であったのだと考えております。序盤のフィリアは、何かのために誰か1人を殺すことすら許容出来ないほどの博愛主義者でした。逆に序盤のジュードは、目的のためであれば誰でも殺してしまえる程の合理性に基づいて動く仕事人間でした。真逆とも言える互いの性質により、物語の序中盤では様々なトラブルと衝突が繰り返されます。しかしそんな経験が互いに影響を与え、段々と心境を変化させていきます。そしてその末、最終的にジュードは人類の救済よりもフィリアの未来を選択し、フィリアは理想や目的のための犠牲を容認出来るようになります。これはつまり、本作の終盤において、二人は『1人を救うために100人を殺せる非合理性』────『人間らしさ』へと至ったということになるんですね。
 最終的に、ジュードは『普遍的な人間性』を身に付けたフィリアを指して、「人間になった」と言っています。これはつまり、「人間の定義とは?」という問いかけに対する一応の答えは示されていることになるんですよね。ただ私は、本作によって齎された答えが”押し付ける類のメッセージ”だとはどうしても思えませんでした。あくまでもフィリアを人間と認めたのはジュードの意思に基づく答えであって、ここでいう「フィリアが人間になった」とは『確定的な結論』であるとはどうしても思えませんでした。それよりはむしろ、本作はエンディングを迎えても尚ユーザーに「人間の定義とは?」という問いを投げかけ、考察を促しているように感じられて仕方ありません。「俺はこう考えたけど、君はどう思う? 人間を人間たらしめるのは、いったいどんな要素だと考える?」────そんな問いかけが、完走後のタイトル画面からは投げかけられているように感じました。自然な流れでユーザーに考察の余地を残すスタイル、好きです。

 ※ 以下余談。語りたいけど纏まらないことをざっくりと話させてください。

 これはちょっとした展開に対する考察ですが、本作の序中盤における『フィリアの博愛主義によってジュードが尻拭いをする』という類の展開って、おそらくジュードの最終的な選択との対比になっていますよね。フィリアは無意識でこそありましたが、要は何かを救おうと動いたが故により多くの犠牲を出すという行為だったワケですからね。ジュードの『1人の未来のために人類の救済を蹴り飛ばす(多くの犠牲を容認する)』という最終的な選択に係っていると考えられるんですよね。まぁ尤も、この時点ではフィリアが本心から犠牲を容認出来ていないので不完全なテーマの昇華ではあるのですがね……。個人的には『理想を実現するための根拠と力量を有していないくせに理想のために動いて周囲に尻拭いさせるキャラクター』が嫌いだったのもあって、正直序中盤におけるこのような展開は始終イラっとしていたのですが、終盤で序中盤の展開の意義に気付いたことで一気に不快感が消えました。というか、ジュードのセリフ的にあえて意図的にフィリアを”そういうキャラクター”として描写していた節がありますし、私の感情は全部ロミオ先生の掌の上だったということになるんですよね。凄いワ。

 個人的大号泣ポイントは、ジュードの最期の独白ですね。特に「肩に乗っていた荷物は、すべて下りていた」という表現をここで持ってきた点は超絶評価対象です。そう、ジュードにとってフィリアは、最初は本当にただの荷物だったんですよね。しかし旅を続け、一つの結末へと辿り着き、その荷物はいつしか『心配の対象』という意味の『肩の荷』に変化したワケですよ。で、エンディング手前ではフィリアの成長によってみるみる肩の荷が軽くなり、そして最期にこの一文。『荷物』という表現で始まった関係性が、その形と意味を変え、然して同じ表現である『荷物』で終わる。あまりにも美しいと感じました。私は魂から素晴らしい・美しいと思えるモノを目にした際、ワケも分からずに涙を流すことがあるのですが、ここでの感動ブーストの原因はまさしくソレだったでしょう。ロミオ先生のライターとしての手腕を垣間見ました。

 あとこれ、どこにも挟み込める話ではなかったのでここに記述させてもらいたいんですけど、ジュード VS クリムゾンアイやクリムゾンアイ VS カフカース側のシンギュラリティマシン二機のバトルはめちゃくちゃアツかったですね!! やはり少年心を持つ自称”永遠少年”の私としては、こういう圧倒的強者に挑むバトルやスケールの大きなバトルは感情を昂らせてくれるので大好きです。というか、本作開始当初から一番待ち望んでいたのはシンギュラリティマシンと戦う展開なのでした。

メモ書きの抜粋


 一応それなりに纏めて<総評>に文章化してみたのですが、小奇麗(?)な文章として清書するとどうしても抜け漏れや上手く表現出来ない問題みたいなものが立ちはだかります。そのため、今回は特例として、より私の”思考”に近しい文章として、プレイ中に記した殴り書きのメモを一部抜粋して記載させてください。具体的な場面は注釈しないのでかなり乱雑になってしまいますが、興味のある方だけ目を通していただければ。メモ書きでしか言及していないこともチラホラとあります。

人間になることを目的とするアンドロイド
人間として扱われる人間とそうでない人間の区別
……本作は、『人間とは何か』だとか『何を以て人間であると主張出来るのか』というところがテーマであるのかもしれない

この旅の中で、それなりに雑談をしつつも適度な緊張感を保ち続けている点は凄く良いな。
話が長くなると、緊張感を保ち切れずに中弛みすることも多々あるのに。

ロミオ、『無力なくせに理想だけ一丁前で、無邪気に被害をバラ撒くキャラクター』としてあえてフィリアを描写している節がある。
ジュードのセリフから、少なくとも意図的であることは確実。
であれば、そういうキャラクターに仕上げている意味があるハズなのだが……。テーマ的に「それこそが人間性」という話に帰結しそうなんだよなぁ……。
人間は、力も無いくせに自分の理想は通したがるし、目の前の被害や可哀想な何かにばかり着目してその外にまで視野が広がらなかったりするからな。
それこそが『人間の”愚かさ”』であり、『人間の”美しさ”』でもあるということを言いたいのかもしれない。
人間であるジュードがやたら合理的な点もまた、やたらと人間味のあるアンドロイドとの対比として描かれているんだろう。

ジュードとフィリアが、互いに普遍的な人間へと成長する物語?

ジュード VS 三機のシンギュラリティマシン
激熱展開かよ……!!!! これを求めていたんだよ!!!!!!!!!!!!!!!
シンギュラリティマシンを、掌握したのか……?
いや、たしかにシンギュラリティマシンの思考回路みたいなものを多少理解する素振りはあったが……。
二基のシンギュラリティマシンは、元からフィリアを守っていた……?
まさか、Ae型の製造元であるカフカース側のシンギュラリティマシンか!?!?
大怪獣バトル!!!! 大怪獣バトルだ!!!!!!!!!!!!!
ユーレイジア産のクリムゾンアイの方が単騎としては強いな……。
クリムゾンアイに勝ったああああああああああああああああああああああああああ

1体……いや、1人の犠牲で人類を救うか。それとも、その1人の犠牲なく、人類の未来を見捨てるか。
合理性を貫けば、順次に前者を選択できる。しかし、後者を選択するのが『人間』というものじゃないのか。
たとえ人類が滅ぼうとも、人類の人間性に基づく『尊厳』は、失わないのだと。

公爵が悪人でなかっただけ尚更な。むしろ大義は公爵にあった。人類にとっては公爵こそが正義で、ジュードは悪なんだよな。
人類側からしてみれば、盛大な自殺に俺達を巻き込むなという話だ。
それはきっと規模が異なるだけで、中盤にあったフィリアの博愛主義的なワガママとその尻拭いをするジュードの関係性に通ずる。
理想を満たすことで割を食うのは他者。事によっては、1の犠牲を許さないことで100の犠牲が生まれることもある。
だからこそ中盤のソレはイラっとした展開だったが、今では必要なことだったのだと思える。
なぜならそれが、普遍的で現実にはありふれた『人間らしい選択』なのだから。

夢は破れたが、それは既に自身の中で不可能であることを理解した上で納得している。
決して、誰かに押さえつけられたから諦めたワケではない。であれば、それもまた一つのあるべき結論だろう。人間はそうやって、色々と諦めなければならない時もある。初期設定を愚直にこなし続けるAIとは違ってな。

実態はたしかに人間ではない。
それでも、ちゃんとフィリアは人間に成れたと言えるだろう。
人間を人間たらしめるのは、いったい何の要素なのだろうか? 人間の定義とは何なんだろうか?
きっとそれは、本作の中でも言及されることの無い命題だ。フィリアの存在を以て、ユーザーに課した設問だ。ロミオからの、「実際に君たちも考えてみて欲しい」という問いかけなのだろう。

ヴァーミリオンアイのことも含めて「三人」って言っているのが、心境の変化を思わせる

最初はただの荷物だった。まさしく、肩に荷を背負った状態だった。
しかし旅を続け、一つの結末へと行き着いて、その荷物は『心配の対象』という意味合いでの肩の荷へと変化した。
そんな肩の荷もみるみるうちに軽くなって……そして、最終的にはすべて下りていた。

自分なりの解釈でメモを書きながら、より理解が深まる影響で涙が止まらなくなる。
『自由』
「未来は俺のかたわらにある」
やっと、素直になれたんだなって
仕事を熟したんだよ
『運び屋』としての務めを果たした。
屍を超えていける。
強くなった。本当に、強くなった。

人間性が薄れたジュードが人間性を取り戻す
人間性の美しい部分だけが抽出されたようで現実を見られなかったフィリアを人間として成長させる
思えば本作は、上記の二方向からちょうど中央にあったであろう『普遍的な人間』を二人が目指す物語であったように思う。

『人間とは何か?』という壮大な問いが、本作のテーマだろうな。いや、或いはシンプルに『人間』そのものとも言えるかもしれない。

おわりに


 『終のステラ』感想、いかかだったでしょうか。

 積んでいる他のロミオ作品も早くプレイしなければ!!!!

 次にプレイする作品は、『D.C. Winter Season』を予定しております。感想記事は別作品になるかも。

 それでは✋