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『さよなら、うつつ。 ~金で買える程度のハッピーデッドエンド追加版~』感想

目次


はじめに


 ちゃすちゃす✋
 どーも、永澄拓夢です。

 てなわけで、今回の感想対象作品はこちら!

『さよなら、うつつ。 ~金で買える程度のハッピーデッドエンド追加版~』


 同人サークル『羊おじさん倶楽部』さんより、2014年8月に本編のみのフリゲ版、2016年1月に追加シナリオを含む有償版が世に送り出された作品です。羊おじさん俱楽部さんによっては処女作でもありますね。
 個人的には本作を完走することにより現時点で公開されている羊おじさん俱楽部作品をオールクリアすることになるので、処女作がラストという点でなんだか感慨深く思っています。
 退廃的で救いの薄い作風を強みとする羊おじさん俱楽部さんの処女作……いったいどのような作品となっているのでしょうか。

 というワケで、さぁ蓋を開けますわよ!

あらすじ


 ――あなたには、世界を救ってほしい。これは、私でなく世界そのものの願い――

 そう言って転校生の水夜が夏月に差し出したのは注射器
 夏月はその薬物を使って現実と似た異世界『ムンドゥス』へと赴き
 現実世界を腐らせる存在たる『モルタリス』を殺し、救世主として戦う
 それは彼を捕らえ続けていた『役割』と『日常』の破壊
 彼は夢中になって秘密のヒーローとして世界を救い始める

 そんな”薬物が魅せるような”リアルの物語  引用元

所感




~以下ネタバレ有~











総評


 所感でも用いた表現ですが、圧巻の一言です。
 強烈な思想由来の圧倒的なテーマ・メッセージ性が落とし込まれた爆弾のような作品でした。まさしくこれぞ同人作品。思想こそパワー。同人サークルの処女作はやはり強い。

 現状公開されている本作以外の本サークル作品は既に全て完走済みなのですが、本作からはそれらを遥かに凌ぐ想いの強さのようなモノを感じ取りました。鬼気迫る思想の吐露と言いますか、なんと言いますか。世に吐き出したいことがあって本作を創り出したんだなということが非常によく伝わる一作であったと言えるでしょう。こういう作品に出逢いたくて同人作品に触れているまでありますからね。ここまで灰汁の強い作品には商業ではなかなか出会うことが出来ませんから。

 本作も例に漏れず羊おじさん俱楽部作品らしい退廃的な作品でした。相も変わらず救いが薄く、それでいながらやたらと読後感がスッキリしている不思議。そういう点では期待通りでした。ただ、本作ほどに展開の抑揚やインパクトが激しかった作品は同サークル作品においてもおそらく初めてであったため、非常に驚きました。勿論良い要素なのですが、このあたりが毎度同サークル作品を言い表す上で用いる『灰色の雰囲気』という単語を本作に適用できない所以なのですよね。本作は『灰色』というには色が濃い。羊おじさん俱楽部さんは現在も活動中で新作も作ってくださっているサークルさんなので、今後再び本作レベルの激しさを持った作品を期待したくなってしまいますね。

 テーマ・メッセージについてですが、これに関しては『幸福全否定型ADV』というジャンル名にもある通り、ドストレートに「幸福だの愛だのなんざ偽りだ」ということを言いたかったのだろうなと解釈しました。ただ、そこで投げやりに終わっていないのが本作の評価したい点です。本作ではメタ的な展開を用いつつ、『幸福』や『愛』を嘘っぱちだと断じた上で、それでもそのような虚構に祈ることそのものに意味を与えています。幸福や愛などという酷く曖昧で不定形な概念について答えを示すのではなく、それらを偽りと嗤った上でそれでもそれらを求めることは救いなのだとしているのです。私はこの結論を「美しい」と感じました。綺麗事では着飾らず、ありのままの現実を突きつける。されどその中に小さな『救い』を見出す。今まさに綺麗事ではどうにもならない現実世界を生きる『自らの幸福を語る言葉や手段を持たない者』である私たちにとっては、もしかしたらこのような結論の方が心に刺さるのかもしれませんね。

 さて、上では『救い』について記述しましたが、実のところ本作は私にとって『絶望』とも称せる要素をも兼ね備えています。ただそれはマイナスな評価へと繋がるものではなく、むしろ私はこれがあったからこそ本作を高く評価したとも言えるのです。ではその要素とは何か。答えは、『役割という仮面だけが求められる世界が否定されきらなかったこと』です。「『役割』という仮面だけが人間関係において求められ、誰も仮面の奥の自分を見てくれない」とは、本作における主人公────間宮夏月が物語開始時から抱いていた不満でした。幼馴染である天河沙希との歪んだ関係性も相まり、本編における夏月はそのような現状に耐えられず、結果的に『自分』を見てくれた存在である鏡水夜の口車に乗って救世主になることを受け入れてしまいます。水夜を救えるのは夏月しかいなかったとは他ならぬ水夜本人から語られるため、一見『役割という仮面だけが求められる世界』が否定されたようにも考えられますが、その後追い打ちをかけるように追加シナリオで語られたメタ的な言説からすると、やはり誰もかれもが『役割』を担ったキャラクターでしかないという結論に落ち着いてしまいます。
 ではなぜこの要素に私は絶望を感じるのか。それは、私が間宮夏月と同じ不満を社会に抱いている人間だからです。プレイ中はひたすらに夏月の悩みに首肯し同調する存在と化していました。そんな私だからこそ、本作プレイ中にはこの不満に一つの答えを示してくれるのかと期待し、完走時には絶望したのです。それどころか、私は新たに気付かされたことによってさらに絶望することとなりました。感想文にコンバートするのが少々面倒くさいので以下にメモの抜粋を添付しますが、以下のような気付きを得たことにより、私は私が仮面の奥を見てもらおうなどと考えるのは烏滸がましいと感じてしまったのです。

結局のところ現実も創作世界と同じで、『役割』に縛られるし『役割』でしか関係は紡がれないとでも言いたいのだろうか。
要は、主人公である間宮夏月の苦しみは解決されないのだと。
私も夏月と同様に『役割』という仮面による人間関係が横行することにより仮面の奥にまで拘られない社会に不満を抱いているが、そんな現状から救われようなどとおこがましいのだろうか?
私は作品に触れる際、度々キャラクターの役割に着目する。特に『主人公』という役割を務めるキャラクターに求めるモノは多い。『ヒロイン』だの『親友枠』だの、キャラクターを役割で呼称することだってそれなりにある。そして、そんな役割という型にハマることを良しとし、私自身が現実世界に対して抱いている不満などその世界では適用されないかのように違和感なく作品を読み進める。
……結局はそういうことなのかもしれない。私達が現実だと思っている世界も、そういう風に創られているのかもしれない。だから羊おじさんは何度も世界に懐疑的になることを促してきたんだろう。

 結局のところ人間関係は『役割』という概念と切り離せない。仮面の奥の自分自身など見てはもらえないし、他ならぬ私もおそらくは他者の仮面の奥に拘りなどしていない。今日も世界中で仮面の奥の人間は入れ替わる。『友人』は環境が変化するだけで一新されるし、『恋人』は簡単にとっかえひっかえされる。それが人間社会であって、結局のところ私もまたそれに準じる一部でしかない。不満を感じる資格は無い。本作は私にとって、絶望と共に踏ん切りを齎す作品でもあったという話でした。

おわりに


 『さよなら、うつつ。 ~金で買える程度のハッピーデッドエンド追加版~』感想、いかかだったでしょうか。

 鏡水夜のような存在が現れても、口車に乗せられないよう気を付けなくっちゃ……。

 次にプレイする作品は、『SHUFFLE! Essence+』か『SCHOOL DAYS HQ』を予定しております。

 それでは✋