目次
はじめに
ちゃすちゃす✋
どーも、永澄拓夢です。
てなわけで、今回の感想対象作品はこちら!
『つくも3回サンク』
同人ノベルゲーム界隈ではリリース当時から根強く話題に挙がる作品です。本来は有料の本作ですが、最新作リリース記念ということで期間限定フリー化という大盤振る舞いを公式様が実施してくださったため、私も有り難くそちらの機会に乗じる運びとなりました。
TL上での人気は申し分ありませんが、はたしてどのような内容となっているのでしょうか。
というワケで、さぁ蓋を開けますわよ!
あらすじ
きゅうすの妖怪に願いを叶えてもらったり、女の子とラーメン食べたり、妹のお見舞いにいったりする話です。
引用元
所感
twitter.com『つくも3回サンク』
— 永澄拓夢(エスタク) (@kingtakumu530) 2023年9月16日
完走
面白かった。
期待以上に読み応えがあり、且つ心地良い読後感に浸れる作品。
没入度の高い文章で、キャラクターもキャッチー。シナリオも良く、良作であると感じた。
普段当前のようにしている『感謝』と等身大の『幸せ』について今一度考え直す機会をくれたことに感謝を。 https://t.co/FDkb9ExY5Z
~以下ネタバレ有~
総評
●シナリオについて
コメディとシリアスの塩梅が心地よく、テーマとしても身近で等身大なモノが扱われていたため、私個人としては非常に没入度の高い作品であったと感じています。文体に関しても人に”読ませる”文章となっていて読みやすく、キャラもキャッチーで好ましい。同人作品ということを差し引いてもクオリティの高い良作であったと感じました。
本作は、普段当たり前のように行っている『感謝』について今一度考え直す機会をくれる作品でした。
日本語で『感謝』を伝える際、多く用いられるのは「ありがとう」という文言です。これは漢字に直すと「有り難う」という表記になります。感謝の対象に関して、それが”有る”ことが”難しい”からこそこの言葉を贈るワケですね。思い返せば私は、「ありがとう」という感謝の言葉をただただ「ありがとう」というイントネーションの言葉として形骸的に使用していた節があります。感謝の言葉を伝える際、ちゃんとその対象が『有り難い』ことを意識しながら言葉を贈っていただろうか。あらゆる過去の場面の自分に問いかけますが、ほとんどの私が否定の言葉を返します。当たり前のように有るものは、実は当たり前ではない。感謝の対象は、決して当たり前のように有るモノではない。だからこそ、「有り難う」という言葉と共に感謝しなければならないのでしょう。
本作では、『”有ること”と”無いこと”』や『”得ること”と”失うこと”』が作品全体を通して多く語られた作品でした。もちろん直接的に語られもしましたが、作品全体がそのような特性を帯びていたからこそより強く『感謝』の意味について改めて呑み込むことが出来たのだろうと考えています。
今日この時から私も、「ありがとう」から「有り難う」へ、意識を切り替えていこうと思いました。
また、本作は、等身大の『幸せ』についても考えさせてくれる作品でした。
『幸せ』になる方法について、作中では以下のように語られています。
「いろんな生き方があるのよ。好きなところに行けたらいいけど、その生き方だけがすべてじゃないの。足がない人や、目が見えない人や、声が出ない人もいる。でもそれはけして、幸せになってはいけないということではないの」
「でも、そんな人たちはどうやって幸せになればいいの?」
「大切に、思うのよ……」
「何を?」
「……自分を。それと、自分の周りにいてくれるひとを。居させてくれるすべてと、そこにいる自分を精一杯大切にしていくことだけなの……。それは、水槽の中も、外も、世界中どこでも、きっと変わらないわ……」
要は、自分自身と自分の居場所を精一杯大切にしていこうの意なのでしょう。キリスト教における「汝の隣人を愛せよ」のスケールでまでは語られていないのでしょうが、少なくとも自身の手の届く範囲にいる大切な人というスケールでは語られているものと考えます。
『大切にする』とは『対称の人を想う』ことであると解釈します。作中において『他者を想う』という行為は、利己的な自己満足行為として定義付けられながらも、それと同時にたとえその実態が何の解決にも繋がらない想いであっても相手にポジティブな影響を与えることが可能な行為としても語られています。つまるところ『他者を想う』という行為とは、自分自身も他者も同時に満たすことが可能な行為なのかもしれません。
もちろん、全部が全部そうというワケではないでしょう。現に作中でも主人公の妹である賀東ありすは兄を想って半ば自身を不幸にするような道を選びました。また、自分がどれだけ他者を大切にしたのだとしても、離れていく他者は離れていきます。そうなった時、はたして『幸せ』になれているのだろうか? と疑問に思うことは必然でしょう。作中で語られている『幸せ』になる方法は、正直綺麗事です。きっとそんな風に現実世界は簡単には出来ていないと思います。というか、実際に作中でも『子供だまし』と称されてもいました。……ただ、それでも、少しはそんな幸せになる方法を信じてみても良いのかなと思わせてくれる力が本作にはあったのかな、と。少なくとも私はそう思います。(そもそも解釈をミスっている可能性は大いにありますがね)
そういえば、自身と周囲を大切にするための具体行動の一例がまさしく『感謝』を贈ることなのでしょうね。まさしく『感謝の精霊』を題材に据えた作品として相応しい帰結であったと考えられます。
さて、ここからは余談です。
本作中において最も私の心に残った場面として、水族館における賀東ありすの語りパートが挙げられます。『水槽の魚』と『病院の自分』の対比を念頭に置いて語られた「はじめは、水槽を出たいと思っていたお魚もいつしかもうそうしなくても良いと思うようになるんだよ」という言説を聞きながら、私は過去にどこかしらで小耳に挟んだとある言説を思い出しました。それは、長い間水槽で飼われていた魚を野生に返すとすぐに死んでしまうという言説です。本当にそうなのか気になって調べてみたらヒットしなかったので、もしかしたら実態は異なっているのかもしれませんが、あえて今回はこの言説が合っている体で語らせてください。長い間水槽で飼われていた魚を野生に返してあげようという想いはたしかに飼い主の優しさなのでしょう。同じく、長い間病院に入院していた人を健康体で外に復帰させてあげたいというのも一見ごく普通の優しい考え方であると思われます。ただ、当人としてはどうなのか。作中でも語られた通り、魚が水槽にいた期間=ありすが入院していた期間、外の世界は魚=ありすを置いてどんどん過ぎ去っていきます。要は、置いてけぼりになっている状態なんですよね。では、そんな置いてけぼりになった世界に再び放り出される当人ははたして幸せなのか。激変した環境で、周囲にいた人にも置いていかれ、孤独に近い状態に陥ることを当人ははたして望むのか。……一概には答えられない難しい問いであると考えられます。
長く入院しているキャラクターが登場する作品は数あれど、そういった視点で語られる作品には未だ出逢ってこなかったため、本作で新たな視点を得られたのは非常に大きな収穫であったと思っています。有り難う。
おわりに
『つくも3回サンク』感想、いかかだったでしょうか。
他のシンセティックガール作品にも着手しなければ!
次にプレイする作品は、『アリスニャットシング!』を予定しております。
それでは✋